欲 望 記

なんでも欲しい 女子大生は

器用貧乏・不器用金持ち・器用金持ち

思えば昔から長く続けられていることなんてほとんどない気がする。

わたしは運動以外ならわりと最初になんでもできちゃうタイプで、その後じっくり続けるとか、なにかを極めていくみたいなことが全然できない。あれ興味あるなーと思ったらかじり、やめ、あれ興味あるーと思ったらかじり、やめる。試食大好き。美味しいところだけもぐもぐしたら、はい次ーて線路変更してしまう。リーダーとか責任が重いところに居るのは嫌だけど、一緒にやらないのはもっと嫌だったりする。どうにも自分に一番合ってると思うものと未だ巡り合ってない気がして、なんの未練もなくいろいろと中途半端で置いてきた。努力は続かない三日坊主だし、何をやってもそこそこ楽しかったり、できちゃったりするから次々と新しいことをしていく。前からこの性格はどうにかしたいなと思っていたし、目前に就職活動とかいうものが迫ってきて、続けてきたものが何もないというのはなかなかマズい気がしている。器用貧乏というけれど、器用は金持ちになれないのだろうか?不器用になれば金持ちになれるのか?

器用貧乏なのには色々理由がある。多分やってること全部に保険をかけていて、大きな失敗を恐れているってことが一つ。全部同時進行でどれも中くらいまでやっていれば、どれか失敗しても他のものがあるしどれか嫌になっても他のものにいける。いろんな道が選べるだろうから、となるべく倍率の高い大学に入ろうとしたのもそうだろうし。これが好きだ!これがやりたいからそのためにこれをやるんだ!って言える人はすごい。とってもすごい。たとえそんなものを見つけても、私にはそれが気の迷いのように思える。「これが好きだ」という気持ちだけではアイデンティティーにはならない。人の気持ちは変わる。ずっと好きだと、今は信じていてもあっけなく消えたりする。10年前、ずっと好きだろうと思って信じていたものはいつの間にか自分の心の中から消えていた。嫌いになったわけではない。関心がなくなったのだ。好きに一番遠いのは、嫌いではない。関心が遠ざかることである。好きって気持ちは難しい。人だってなんだって一生好きだなんて保証はどこにもない。アイデンティティーが消えることが怖いから、何も好きにならない。自分を形成するものをできるだけ作らないようにする。だから、それを恐れずにはっきり輪郭を持って生きている同世代が怖くて、羨ましい。簡単には見つからないけれど、20年以上見つかっていないけれど、私にも何か、何かぴったりと自分にハマるものが、趣味にできることが、特技にできることが、仕事にできることがあるはずだ。と、信じて疑わない。

どこにあるんだろう?

とはいえ、子どもの頃なっていたかった者になんだかんだ肩書き上はなっている。し、将来の夢にも漠然だが、遠からず近からずと言った感じ。夢を思い描いているときは良いところしか見えてないし、実際その立場になったところなんてリアルに想像しているわけじゃないから、思ってたのと違う部分もある。だから夢が叶った、っていう気持ちとは近くて、でも別物だ。

不器用でも、他に何もできなくても、一つのことをコツコツと出来る人はすごい。本人が自分のことをどう思っていようとすごい。極めるという響きに憧れを持っている。そっちの方がなんでも簡単にこなせる中途半端よりかっこいい。ウサギとカメだって、カメのほうがえらいって言っている。器用貧乏という言葉は自分にぴったりと当てはまっているような気がしていたけれど、よく考えるとコツコツできないって部分では超不器用だ。まぁなんていうか器用でも不器用でもなんでもいいから金持ちになりたい。